伊万里市議会 2016-06-20 06月20日-03号
ナンバープレートの形を、松山市が進めます司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」のまちづくりにちなみまして、雲の形にして、地名の表記を松山市から道後・松山市と変えて導入をされております。 なお、御当地ナンバーではございませんけれども、その前年の平成18年には、千葉県成田市におきまして、ナンバープレートの下部にローマ字の「NARITA」を加えたものが導入をされております。
ナンバープレートの形を、松山市が進めます司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」のまちづくりにちなみまして、雲の形にして、地名の表記を松山市から道後・松山市と変えて導入をされております。 なお、御当地ナンバーではございませんけれども、その前年の平成18年には、千葉県成田市におきまして、ナンバープレートの下部にローマ字の「NARITA」を加えたものが導入をされております。
ここは、坂の上の雲、司馬遼太郎の小説をもとにまちづくりをすると。そこで活躍した青年たちが、夢と希望を持って東京に出て行って、世界で活躍していったというような、先進性を持ったストーリーがあって、それをこの松山市の活性化につなげていこうという市長の思い、今は県知事になられている中村県知事が先導してされたみたいですけど、やはりそういう先進性、高橋是清もこれとぴったりだと思うんですよね。
私たちはみやき町の坂の上の雲を今後見詰めて歩いていかなければなりません。この歩みが失敗したときはですね、私たちが全員歴史の評価を受けなければならないのであります。だいが町長やったかい、だいが町会議員やったかい、こうなるわけですね、副町長はだいやったかいとなるわけですよ。ですから、手を携えて協力をして真摯になって努力をしていくということでお願いをしたいと思います。答弁は要りません。
日本における義務教育制度、今、テレビでも放映がありましたけれども、龍馬伝、そして、今あっている坂の上の雲、まさにあの時代に藩校、寺子屋の時代から明治維新政府が立ち上がり、その後、学制発布に基づいて学校が始まるわけであります。かつてもそのことをメーンに掲げられたテレビドラマ等があって大変多くの方々の感銘を得ていると思います。
恐らく、あの坂の上の雲を目指していた龍馬伝に続くあの人たちは、きっと立派な法治国家を打ち立てたいと理想に心を燃やしていた、その本丸であったと思います。 それから100年以上の時間がたちまして、まだまだ時代とともに変えていくべきところがあります。
それから、いろいろ書いておられますけど、時間がありませんので、例えば、「坂の上の雲」を書くときはですね、あのバルチック艦隊がバルトの海をこう出てきてですね、日本海に来るときにはですね、今のレニングラード、当時の帝政ロシアのサンクトペテルブルグですかね、あそこに行ってですね、1カ月間泊まって筆を振るわれたわけですよ。
思えば日本は、20世紀後半から高度経済成長に入り、「坂の上の雲」を目指してきたものの、その間に忘れ去ったものを取り戻すとともに、次世代のためにできることを見出し、実践する責務が我々の世代にあることを深く認識すべきものと感じます。そのような文化や生き方にもかかわる課題も考察しつつ、未来創造の努力を怠ることなく努めねばならない時代に私たちはいます。
例えば私は亡くなられた司馬遼太郎氏のファンでありますが、日露戦争を描いた「坂の上の雲」は2回読みましたけれども、明治維新以来欧米列強の植民地支配に対する脅威の中で、明治の先人たちが、国の独立を守るため、当時の貧しい財政状況の中で、いかに苦悩し、苦労したのか等の記述は今の教科書には全くなく、何か安易に好んで戦争したかのような表現でありまして、指導要領の我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を